会社が倒産して貯金のない情けない私は本格的に実家でお世話になることにしました。
とにかく家には不要な荷物が沢山あるので無職となった時間で断捨離をしています。とてつもないホコリの中、つい手を止めてしまった…
今は亡き親父名義の通帳が出てきました。やっぱりお金関係が気になる私は、じっくりと中身を見たのでした。
そこで初めて親父の給料額を知った。
私は親父と殆ど会話をした事がない。私が18歳で家を出るまでに恐らく原稿用紙1枚程度に納まるくらいしか言葉を交わしてないと思う。
亡くなった時もビックリするくらい悲しい気持ちにならなかった…どこか他人事だった。
だから親父との思い出は全くと言っていいほどない。唯一の思い出は私が高校生の時、月末になるとタバコをせびってきた。
普通、親だったら未成年の子供がタバコを吸っていたら怒るものだ。それなのにせびってくる親父を情けない人と感じていたのです。
自分が社会人になって、当時の親父の気持ちが何となく理解出来るようになった。給料日前は確かにお金がないよね…
そんな事を思いながら、がっつりと通帳を開いた。これから親父の給料額をネットに晒していくよ。これが家族4人を養ってきた親父の生きていた証だ!
年/月/日 | 支給額(円) |
59/08/28 | 242,260 |
59/09/28 | 276,272 |
59/10/27 | 285,457 |
59/11/28 | 281,425 |
59/12/15 | 416,736 |
59/12/28 | 232,959 |
60/01/28 | 256,157 |
60/02/28 | 261,067 |
60/03/28 | 289,828 |
60/04/27 | 285,482 |
60/05/28 | 261,799 |
60/06/15 | 333,222 |
60/06/28 | 312,133 |
60/07/27 | 303,719 |
これが40年前の親父の給料。
手取り年収で4,038,516円
因みに昭和59年のサラリーマン平均年収を調べたら3,511,300円だった。
『親父、手取り年収で当時のサラリーマン平均年収を超えてる…スゴい人だったの?(今更、尊敬の眼差し)』
計算してみたら親父が45歳の時です…初めて親父の給料額を知った私は現在45歳…
親父を情けない人と思っていた自分の方が本当の情けない人だった…実家に戻ってきて両親の凄さを痛感したのでした。そして子育てをしている方々にも…
私自身1人を養う事もキツイのに世の中には家族を養っている人が沢山いる。凄い人が沢山いる。
今更ですが『お疲れさまでした、親父、貴方はスゴい人でした』